日本人は1人だけ!アメリカの大学で教育を学んでみる

日本人は1人だけ!アメリカの大学で教育を学んでみる

休学してアメリカのリベラルアーツカレッジで教育を学ぶ学生。アメリカ留学2年間終了後、アフリカに行き、インド、南米の学校で働いてた。多くの教育関係者、海外に興味を持った方に読まれるブログを運営中。

休学をした教師志望の大学生が就活をする3つの理由

 

3月1日。

 

就活解禁日。

 

教師を志望する僕にとってはあまり関係のない日だ

 

電車には、スーツを着た大学生が溢れ返している。

 

そんな彼らを見て、就活大変そうだなぁと少し他人事で見ている自分がいる。

 

しかし、次の日に僕は合同説明会の会場にいた。

 

インターンにも実は3つほど参加したこともある。

そこにいるのは、どうしても就活が他人事に思えない自分だった。

 

なぜ教師志望の僕が今さら就活をしているのかについての自分の考えを述べたいと思う。

 

①自分の位置を見るため

 

就活をしてみて、いいことだと思うのは他の大学の学生と交流できること。

 

他の人の本気を見れること。

 

普段の生活では全く会わないような人と出会える確率が飛躍的に上がること。

 

他の人のカードを見れること。

 

自分のカードがどこまで通用するか見れること。

 

そんな場で、自分がまだまだだと思うことが多々ある。

 

自分が「井の中の蛙」になっている、と感じることが何回もあった。

 

それは純粋に悔しくもあるが、自分の先を照らしてくれる人に会えた喜びでもある。

 

また、それと同時に、自分の負けないところも見えてくる。

 

負けないところ/負けたくないところ。

 

そんな自分を見つめ直すきっかけを与えてくれる場面に何度も遭遇した。

 

それだけで、就活をする意味は多いにあると思う。

 

②先生の仕事とできるだけ離れていることをする

 

「教師に民間経験は必要か?」

 

この問いには様々な答えがあるだろう。

 

「会社で活躍する人材を育てる先生には、当然民間経験があったほうが良い。」

 

という意見もあれば、

 

「民間経験があるからといって良い教師になれるとは限らない。」

 

解釈の仕方や答えは色々あると思うが、僕が思うのはできるだけ多くの「経験」をしている先生のほうが、生徒には魅力的に映るだろうこと。

 

その経験が 「先生の仕事とかけ離れている」となおさら面白いのではないだろうか。

 

アフリカに行くのも、インドでインターンするのも、就活するのも、

 

「先生があまりしない」ことであると思う。

 

これらの「かけ離れた経験」が自分の色になるのではないか。

 

③迷っているから

 

正直迷っている自分がいる。

 

本当にこのまま先生になっていいのか。

 

自分の将来やりたいことは決まっている。

 

「教員の育成」をしたい。

 

そのためにはできるだけ早く自分が実践の経験を積む必要がある。

 

だから、「先生にはなるべく早くなったほうがいい」。

 

頭ではわかってる。

 

だけど、周りが行動してるのをただ指をくわえてみていれない自分がいる。

 

不安になっているだけかもしれない。

 

自分が一生「教えるという技術」だけで食べていく選択をしていいのか。

 

他のスキルを獲得する機会を放棄する決断をしていいのか。

 

心理学では、人間には「損失回避性」があると言われる。

 

これは、「何かを得る喜び」よりも「何かを失うことの恐怖」のほうが大きいという理論である。

 

「自分の選択肢を捨てる」ということに躊躇している自分がいる。

 

それで「就活」というものを少ししている。

 

不安を取り除くために?自分の経験のために?

 

答えはどっちもだろう。

 

「ビジネススキルを獲得するチャンスを失っていいのか。」

 

「新卒カードを教師にしていいのか。」

 

様々な問いが頭の中に生まれる。

 

迷っている。

 

人生について考える今日この頃。

 

こうゆうふうに悩んで考えることで成長できると思っている。

 

悩めるという幸せを噛みしめていきたい。

 

どのような選択が正しいかわからないが、大事なのは、「自分の選択を正しくする努力をすること」だと思う。

 

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