子どもたちを分断する「柵」。そして僕と彼らの「見えない壁」
今日学校に行くと、
「生徒たちが学校の外に行って、印刷をしなければいけないから付き添いをお願いね」
と頼まれました。
この時間は完全に授業時間ですが、先生が必要な印刷物のために生徒たちは学校の外の離れた文房具屋に行かなければいけません。
「いや、授業時間に生徒使ってやらせることではないでしょ。」
というのが正直な感想ですが、そうゆうところがルーズなこの学校です。
徒歩5分くらいの文房具屋に来て印刷が終わるのを待ってました。
そうすると、目の前に公立の学校がありました。
今自分が通っている学校は私立の学校ですが、実際の生徒はほとんど公立の学校に通っています。
学校の前には、ガードが立っています。
そして、施錠がされて外に出られないようになってます。
これは、生徒が学校から抜け出さないようにという施錠です。
まるで「監獄」です
そして、僕の学校の生徒が中の友達と話してました。
僕の学校の生徒はもともとは、この公立の学校にいて、2年前に転校してきたらしいです。
彼は、
「この学校ではほとんど何も学ばなかった。生徒たちは授業を聞かず、先生もやる気がいない。」
と教えてくれました。
この生徒は幸運にも、スポンサー(支援してくれるアメリカ人)を見つけたため、現在は僕のいる私立の学校に通うことができました。
彼はこの、「柵の外に出る」ことができたのです。
しかし、多くの生徒はこの柵の中にいます。
この柵の外に出ることができないのです。
この柵はただの柵ではなく、彼らの人生の障壁です。
「柵の外にいる彼」と「柵の中にいる彼」はかなり異なる人生を送るでしょう。
まるで、この「柵」が彼らの世界を分断してるようです。
この柵が、「よい教育をうけることができる」かを決め、それが将来の彼らの仕事、収入、生活などを決きます。
この柵はただの柵ではないのです。
彼らの人生を分断する柵なのです。
そんなことを考えていたらもう一つ壁があるのに気づきました。
その壁は「見えない壁」です。
それは「自分」と「彼ら」の間にあります。
「写真を撮る自分」と「写真を撮られる彼ら」
「レンズを除く側」と「レンズの中の被写体」
この両者の立場は決定的に異なり、大きな壁がそこにはあります。
柵の「中の子」と「外の子」が異なるように、「自分」と「彼ら」の生活も大きく違います。
この壁を崩すことは可能なのか。
この壁をそもそもなくすほうがいいのか。
この壁を壊した先に見えるものはなんだろうか。
そんなことを考えた一日でした。