教育を学ぶためにマレーシアからアメリカへ!
「将来はマレーシアで先生になる」
という志を持った友達がいます。
その友達は、マレーシアの大学を途中で辞めて、アメリカの僕と同じ大学に入学をし直して教育を勉強しています。
実は僕はマレーシアに小さいときに住んでいたことがあるので、「〇〇知ってる?」というローカルトークをよくしていました。笑
僕はマレーシアの首都のクアラルンプールに住んでいたんですが、彼女はその隣の市で生まれ育ったみたいです。
母親が中国系マレーシア人で、父親がマレーシアと中国のミックスらしいですが、両親の会話は英語。
しかし、両親は子供に中国語を話してほしいという思いから、彼女は中国語の小学校に通ったそうです。
マレーシアでは、マレー語、英語、中国語、タミル語がよく使われるため、学校もマレー語の学校、英語の学校、中国語の学校、タミル語の学校という様に分かれています。
また国教がイスラム教で、ヒジャブをつけてる人が多く街中にいますが、イスラム教を信仰しない人もまた多くいます。
そういえば、小さい頃にヒジャブをつけてる人を見た覚えがありますが、その時は国教がイスラム教のことなんて全く知りませんでした。
そして、中学校はマレー語と英語で統一されていたらしいです。
しかし、彼女が卒業後は政府が中学校は全てマレー語で学ぶようにと変更。
教育への政府の影響は大きいですね。
その5年間の中学校を卒業した後は、公立に進学するか私立に進学するかでその先の進路が変わってくるらしく、
Form6, Matriculation, Diploma, ADTP, A-Level、、、と色々わかれてるみたいです。
書いて説明してくれました。
すごい複雑です。。。
中学校のときまではファッションデザイナーを目指していたみたいですが、友達に勉強を教えた経験から先生になりたいと思い始めた彼女。
彼女の教えの下、友達がテストに合格して「人の役に立つ」ということの素晴らしさをわかったと言います。
実は、僕も先生になりたいなっと思ったきっかけは友達に勉強を教えたという原体験があるのですごい共感できました。
マレーシアの大学で教育を学び始めるも、「アメリカの経験をマレーシアの生徒に還元したい」という思いから、マレーシアの大学を辞めてアメリカの大学に再入学することを決意。
彼女は教員免許をアメリカで取得するので、マレーシアでの免許はありません。
なので、彼女は「Teach for Malaysiaのプログラムで先生になることを目指している」と言ってます。
Teach For MalaysiaはTeach For JapanやTeach For Americaと同じで、教育困難校に高い志を持った人材を二年間派遣するプログラムを運営しています。
このプログラムに参加するのには教員免許が必要ではないので、教育に情熱を持った人なら誰でも応募することができます。
将来はマレーシアの田舎の地域で教えたいという彼女。
「多くの人が田舎に行きたくないから、私は田舎に行きたい」
『マレーシアの教育現場では「他にやりたい仕事がないから先生でもやろう」とか「特別な技能がないから先生にしかなれない」といったでもしか先生が多いと感じる』
と友達は言っています。日本でも似たような風潮があるのは否めません。
教育問題は各国に存在します。しかし、解決策は共有することができるでしょう。
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彼女も英語で自分のブログで教育についての熱い思いを語ってます。
このように世界各国の先生の仲間を作って、困った時は国境を越えて一緒に協力して問題を解決できたらなーと思います。